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源泉通りケヤキの森足湯 | 磐梯熱海駅前足湯 |
安積疏水神社 | 大峯不動尊 | 源泉神社 | 湯泉神社 |
五百川 | 不動滝 | 蓬山遊歩道 | 中山の大ケヤキ | 石筵のしだれ栗 | 銚子ヶ滝 |
長橋の種蒔き桜 | 御衣黄桜 | 深沢の名水処 |
安積疏水 | 丸守発電所 | 沼上発電所 | 竹之内発電所 | 高玉城跡 | 青木場の石造層塔 |
源泉神社前に設置されている足湯。
「ケヤキの森散策路」の近くなので、散策の後のんびりと湯に浸かれます。手荷物置場や脱衣所も用意されています。
磐梯熱海駅改札を出ると正面にある便利さで、利用者も多く、人気の足湯です。気軽に磐梯熱海の湯を試せます。
簡易脱衣所、手荷物置き場を完備。
安積疏水神社は1879年(明治12年)に五百川架樋の工事成功祈願のため奉祀せられ、安積疏水の守護神として今日に至ります。
建武(1334~1337)のころ、京に住む「萩姫」が難病に取り付かれ、不動明王よりお告げがあり、「京都より越後路を越え500番目の川に霊泉あり」として、侍女「雪枝」とともに、いまの磐梯熱海温泉街を流れる五百川の霊泉につかったところ全快したと伝えられます。
これに感謝した侍女雪枝がこの地に不動明王の分霊を祀り、庵を結んで一生を送ったといわれています。
大正11年(1922)に東京羽田より穴守稲荷神社を勧請し、大山祇神社と合祀した磐梯熱海穴守稲荷神社に、新たに源泉神社を勧請。赤い鳥居が目を引きます。
以前は「湯泉権現」と呼ばれていました。境内には、当地を治めていた代官吉田弥右エ門守守が1738年に河原石を積んだ風呂を作ったことなどを顕彰して、二本松藩城代成田頼直が1819年に建立した温泉碑があります。
毎年8月に行われる萩姫まつりでは、温泉に感謝し、萩姫が浦安の舞を奉納します。
福島県郡山市北西部の奥羽山脈東麓に源を発し東へ流れる五百川。磐梯熱海温泉を流れ下り、安達太良山南山麓を源流とする石筵川を合わせて、磐越自動車道五百川パーキングエリア付近から郡山市と本宮市との境界となりそのまま阿武隈川に合流します。
萩姫伝説と呼ばれる古くからの伝説があります。萩姫伝説についてはこちらをごらんください。
滝というと山奥にあるものと想像しますが、不動滝は熱海町の街中にあり、気軽に滝を見られる観光スポットとなっています。
滝の周辺まで車で入ることができます。
五百川渓谷の上方に作られた蓬山遊歩道。
温泉街の西側から5分ほど歩いた場所に広がる「ケヤキの森」には、50本以上の巨大なケヤキが群生しています。春には樹下に山野草が咲き、見ごたえ十分です。
散策路が整備されていますので、温泉浴の前後に森林浴をお楽しみください。
根元から1mの位置で東西に幹が分かれているこのケヤキは高さは30mあり、樹齢は400年と推定されています。
この大ケヤキには、西側裾部に細長く焼けた後が見られます。戊辰戦争の時、会津藩が戦略のため中山宿の全戸を焼き払った時に焼けた跡だそうです。
県指定天然記念物。
福島県では珍しい「しだれ栗」の木です。枝が下を向き幹はくねくねと変形しています。
中の沢熱海線 母成峠の南山麓に石筵牧野利用農業協同組合の放牧地があり、広い敷地の中にしだれ栗が点在、10数本の木を見ることができます。
ふくしまの水30選、日本の滝100選に選ばれた高さ48mの白瀑。市民が選んだ「水とふれあう名所10選」にも選ばれています。
形が銚子に似ていることから、その名が付けられました。
納涼、紅葉狩りを楽しめるハイキングコースとして親しまれているほか、生活用水、かんがい用水、マス養魚場等に利用されています。
市指定天然記念物。
樹高17mの、推定樹齢350年から400年のエドヒガン(サクラ)。地域の人々が農事始めの指標にしている樹木です。
八重桜の一種である御衣黄桜は、花びらが肉厚で外側に反り返り、色は白色から淡緑色、黄色が混ざって咲き、次第に花弁の中心部から赤みが増してきて、全体にピンクがかって散る大変珍しい桜です。見頃、開花はソメイヨシノより幾分遅めで、4月下旬~5月初旬です。
磐梯熱海温泉街の水道水は、名水といわれる深沢川から取水されています。ミネラル分が豊富で、味を損なわいように、消毒は最小限で提供されています。
ケヤキの森散策後は、ここ深沢の名水処で是非喉を潤してください。
安積疏水は安積平野(郡山市)の水不足を解消すべく明治政府が士族授産・殖産興業の政策のもとに、1879年(明治12年)から国営事業第1号として猪苗代湖の水を導水した事業です。
猪苗代湖より取水し、福島県郡山市とその周辺地域の安積原野に農業用水・工業用水・飲用水を供給しています。水力発電にも使用されます。
磐梯熱海は安積疏水の上流部にあたり、豊富な水流を利用して発電所が建設されました。その後、老朽化した用水路の取水口改修工事や、新たな用水需要対応するため熱海頭首工が新設され、現在に至っています。
那須疏水(栃木県)、琵琶湖疏水(滋賀県琵琶湖 - 京都市)と並ぶ日本三大疏水の1つに数えられています。
熱海町には水力発電所は3ヶ所あり、猪苗代湖の水を通し発電しています。磐梯熱海温泉街から見える丸守発電所は、大正10年に建設され、当時は大峰発電所と呼ばれていました。
今話題の東京駅と同じ建築方法を採用しており、近代化産業遺産群に指定されています。
猪苗代湖と安積疏水の落差を利用した沼上発電所は、1899年(明治32年)6月に運転を開始した、東京電力の発電所としては3番目に古い発電所です。
日本で初めての高圧送電を利用した送電が郡山市内まで行われ、紡績・繊維産業の発展に貢献しました。
大正8年に運転開始した東京電力の水力発電所です。桜の木に囲まれており、桜が咲く季節はとても綺麗です。
応永元年(1394)源義家の子孫、顕実石筵冠者太郎左衛門尉が築いた城といわれています。戦国時代になり、天文元年(1532年)二本松の畠山氏の領土の西を守る城として、高玉を領していた畠山一族(安積伊東氏一族とも)高玉氏により、地形を利用した戦国城郭に拡張されました。
主家二本松畠山氏が伊達政宗に攻略された折、伊達政宗が畠山氏旧臣の高玉近江守にこの地を与えたといわれています。しかし高玉常頼は伊達氏を嫌い、葦名氏に付いたままこの地を支配していました。6代目高玉太郎左衛門常頼の時、葦名氏の混乱に乗じて葦名氏領を狙う伊達政宗に天正17年5月5日(1589年)攻撃され、常頼と女婿の荒井新兵衛は奮戦しましたが、城主以下60名全員が討死し落城したといわれています。
しかし、常頼の3歳になる娘は乳母の命乞いにより助けられ、親族の高倉城主高倉近江(伊東助九郎)のもとで育まれたそうです。現在高倉の常円寺に残る常頼夫妻の供養碑を建てたのがこの娘とされています。
市指定重要有形文化財
凝灰岩で別石仕上げの三重層塔です。鎌倉時代末期に建立されたものと考えられます。軸柱面は7角で、薬研彫により正面には「バン」、他の6面には「イー」の種子が刻まれています。
このあたりには旧会津街道があり、ここから母成峠を越えて会津に向かうため、青木場は街道を行き来きする人びとで栄えていた集落だったといわれています。